壮大な徒労
それから矢部氏はイギリスの哲学者ラッセルの話しを引用している。
A、Bという2台のソーセージを作る機械があった。A機械はソーセージ作りに情熱を注いでいた。B機械はソーセージを作ることに意味があるのか自分に問い始めた。その結果答えは否定的だった。やがて自分の心の探究を始めた。その結果、何もかもが無意味であるという結論に達してソーセージ作りも全て止めて途方に暮れてしまった。
矢部氏はいう
自己探求をしたり懊悩することは知的作業としては意味があっても現実の生き方としては壮大な徒労である。知的探求は学者に任せていおけばよいのであり、われわれはもっと心を外に向けて人生に興じなければならない。
わたしは矢部氏がどういう人物であるかよく分からない。この本以外に読んでいないのであるから何とも判定のしようがないのであるが、この本に書いてある限り大いに共感を持つのである。
私は今でも若い人たちにこのたとえの話しをする。若いころは自己探求に何か大きな意味があるものという幻想を覚えるものである。やはり私は矢部氏が言うように「自己探求をしたり懊悩することは知的作業としては意味があっても現実の生き方としては壮大な徒労である。」と話すようにしている。
もちろんそれでも探求を続けるならばそれも一つの人生であろう。ただ幻想であることに気づいて意味のある別の目的に情熱をそそぐ契機になればそれはそれで前途ある若者に親切を施したことになると思うのである。
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