情報というものは私たちがその対象に興味の目を向けたとき、はじめて得られるものです。
ここ2年くらい仕事の合間を見て英語の勉強をしてきました。上達のほどは別にして、英語で会話なり、スピーチなりをする中で気づいたことがあります。会話やスピーチがうまくいかない原因はもちろん語学力の能力の問題でありますが、それ以上に観察力、表現力の欠如に問題がある、ということに気づきました。
簡単に言えば、英語だから表現できないのではなく、日本語でもできないということです。言うまでもなく観察力は自然や社会、人間から情報を取り入れる能力であり、そのためにはまずそれらの対象に興味を持つことが必要です。一方、表現力とは得られた情報を加工し、あるいはそのままの状態で言葉なり、図形なりで相手に理解させる能力です。これについてはそれなりの技術が必要です。私たちはこれらの技術についてまとまった教育を受けてきていません。
私たちのまわりにも延々と長時間しゃべったあげく、結局、何を言いたかったのか不明であることにたびたび遭遇します。いや、テレビの討論番組でさえそういう状況です。
よくあるまちがいの例ですが
1)事実と意見を混同する
見てきた事実を言っているのか、自分の意見を言っているのか、はっきりしない。その結果、事実を自分の意見に都合のいいように、意図的にあるいは無意識のうちにゆがめてしまう。
2)少ない事実から多くの結論を得ようとする
偶然起こったかもしれない、ひとつふたつの事実から普遍的な原理のようなものを導く。ものごとはいろいろな角度から観測、検証する必要があります。
3)すじみちの立て方のまちがい
推理のやり方には論理学をベースにしたきまりがあります。ところが日本人と日本社会ではこれが通用しないケースがあまりに多のが現状で、論理と感情の混同が多い。
いずれにせよ観察力と表現力はこれからの社会生活、ビジネス社会ではますます重要になってくるのではないでしょうか。
わたしは最近、野の草花に興味を持ち始めました。これまで「雑草」と片づけてきた植物に名前があり、分類があり、習性があり、そこで繁茂する自然的あるいは社会的な事情があることがわかってきました。これは一例ですが、情報というものは私たちが興味の目を向けたとき、はじめて得られるものだということを表しています。
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